トップインタビュー『伊都つむぐ社長』
東京でも大阪でも、天神・博多でもない。伊都にこだわる理由は何ですか?

初代社長が「この地域は今後発展する」と見極め、それが実現したからです。

約60年前、弊社は大手電機メーカーの協力工場として福岡市西区に開業。
当時から業務用電動工具の駆動装置で使われる整流子モータの製造を得意としていました。
その後、大手電機メーカーが電動工具事業から撤退。整流子モータの製造販売事業を弊社が継承することとなりました。

その数年後の1990年、いまの本社がある地域(現:糸島市志登)は今後発展すると見極め、福岡市西区から移転しました。
移転当時は田んぼの真ん中にポツンと工場がある状態でしたが、今では南側(JR波多江駅側)に住宅や商店も増え、賑わいを見せています(北側は、未だ田んぼが広がるのどかな風景のままです)。

今、糸島市は「脱炭素の先進地」を目指しています。低環境負荷社会の実現を目指す弊社にとってありがたいことです。
それに九州大学が伊都に移転してきたことも大きい。産学官連携がしやすくなしました。

約30年前に初代社長が下した「移転」という決断は、正しかったと言えるでしょう。

事業はうまくいっていますか?

コロナ禍で売上は落ちましたが、いま持ち直してきています。
今回同様、これまでも困難はありましたが、その都度回復を成し得てきました。

それは、初代が遺した経営理念「誠実・創造・明和」を守ってきた証だと思っています。
「誠実=マーケティング」「創造=イノベーション」「明和=人づくり」深い理念です。

大手と同じことをやっては太刀打ちできません。また、コスト面では中国の企業に勝てません。
故に、ニッチ狙いが重要と考え、得意のモータを活かした農業機械や工事用車両の電動化にも目をつけました。
関連会社の株式会社メグムでは、電動ビジネススクーターや電動3輪シニアカーの開発・販売も行なっています。

そして「カスタム設計・小ロット生産」にこだわっています。
設計から製造まで、一気通貫でご満足いただけるQ(品質)・C(コスト)・D(納期)を実現しています。

また、2009年より、低環境負荷社会の実現に向けた産学官連携の技術開発を進めています。
福岡工業大学・東京工業大学・九州大学・九州工業大学等と開発に取組んだものもあります。
1つ実例を挙げると、近所の人気避暑地「白糸の滝」で糸島市・九州大学と協力した「小水力発電機」を設置。飲食施設「ふれあいの里」の電力をまかない、余った電力は売電しています。

今後も「誠実・創造・明和」を基とした事業展開に邁進します。

会社をどのように成長させたいですか?

低環境負荷社会の実現に向けて、高効率・省エネ、リサイクル性を高めた製品開発と素形材生産技術で貢献できる会社へと成長させます。

整流子モータは今でも売上の7割ほどを占めています。
しかし、売上は減少傾向。主力の整流子モータと円筒歯車による工具関連事業への依存から脱却しなければ、10年後・20年後に会社はなくなると思っています。

故に、独自の製品開発および新分野への展開を強化します。

まずは売上10億。
そして初代の頃から目指していた20億円の実現に向けた道筋を当社の定年年齢である65歳までの5年間でつくり、引退の年齢と定めている70歳までの残りの5年間はそれを見守っていけるようにしたいと思っています。

若手社員に何を期待していますか?

「自己判断できる人」そして「改善できる人」に成長してほしいと思っています。

その強化のため、社員には業務改善報告書を書く癖を付けさせています。
1~3枚の紙にまとめる力がつけば、不具合が出た際の対応力にもつながります。
また、書類を作成することで自己を冷静に見つめるきっかけにもなるので、良いこと尽くめなのです。

若手社員をどのように育てていますか?

技能継承をしていきます。先輩たちの技術を徹底的に真似して自身のものにして頂きたいと思っています。

しかし、そのためには20代不足を解消しなければなりません。
他の世代は1年ずつ先輩後輩が繋がっているのですが、20代では社員がいない年齢のところが散見される状態。故に、20代採用は急務と考えています。

「明和維新」と名付け、社員1人1人が行動しなければならないという意識改革を図ったこともあります。
社内においてPDCAサイクルを徹底させているのは、その一環でもあります。
社外に対しては、自身が取り組んでいることを会社ホームページ内ブログで世に発信する様、促しています。

また、心のケアも大事にしています。
「直属の上司による毎月面談」は、上司には「上司の上司」から、といった感じで行ないますので、社員全員の面談シートが毎月私の元に集まります。大変ですが、必ず全員分の状況に目を通しています。
併せて、外部企業によるストレスチェックやメンタルヘルスも欠かせません。

インタビューを終えて
~取材者の感想~

「生野社長ヒストリー」を少しご紹介。

社長は3代目。初代・2代目の創業者一家出身でなく、福岡とも縁がない大阪生まれ。

音響関連の世界企業で財務諸表や資金繰りについて学び、営業としても世界を飛び回る。
誰もが知る伝説的アーティスへの接客も経験したそう。

前職はやりがいあったが、妻の実家(=明和製作所)を継ぐと決意。
但し、経営者として中途半端なことはしたくなかったため、MBA取得のため大学院に入り経営を学ぶ。

2005年に経営企画室長として入社。その後社長に就任し、今に至る。

10年ほど前から地元の工業高校で「出前講座」実施。
モータや電池・環境・SDGsの話にまで至り、その講座をきっかけに入社した社員もいるそう。


…多くの経験・決断・学習を積み重ねてきた生野社長。

取材中、人材教育に関するあらゆる手法・名言がここでは書き切れない程あふれるように出てきました。それは、これまでの経験・決断・学習に因るものと頷けます。

もし私が社員なら
生野社長からまだまだ多くのお話を聞いて学び得たいと思うことでしょう。(取材者・松田)

取材日/2022/05/23
 情報更新日/2022/06/03

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